沙頭角鎮

2018年8月3日

黄亦民 HuangYiMin

1951年広州生まれ。1966年、北京天安門広場で初めてカメラを手にしてから、写真愛好家に。1986年、信息時報社に入社、撮影記者に。以後、報道カメラマンとして一貫して事件現場の第一線で活躍。報道写真賞など受賞歴多数。
1986年撮影 深圳

広場はとても広いのですが、買い物を済ませた人達が荷物を置いて仲間の帰りを待っているので、いつも大勢の人でごった返していました。

小さな町、沙頭角(鹽田区)は近くの梧桐山から全景が見渡せます。他の町と異なり「一鎮N$制(一つの町、二つの制度)」がとられ、中英街を境に片側が社会主義、反対側が資本主義に分かれています。1978年の改革開放後、申請は若干緩和されたものの依然限られた人しか香港地区に行くことができず、大衆の関心は沙頭角に向けられました。そこに行けば香港地区に近づける気がしたのです。

当時、内地から沙頭角へ行くまで大変でした。まず二つの通行証申請が必要だったのですが、深W3特区の通行証を取得してからでないと沙頭角の特許通行証の申請ができませんでした。二つの通行証を手に入れてから、今度は長時間路線バスにゆられ、梧桐山の山道を回りまわってようやく沙頭角へたどり着くことができたのです。

早朝から大勢の人が列を成し、ゲート開放と同時になだれ込み広場を通って中英街に押し寄せました。広場はとても広いのですが、買い物を済ませた人達が荷物を置いて仲間の帰りを待っているので、いつも大勢の人でごった返していました。

長さ500m足らず、幅8mにも満たない中英街は当時、大陸管轄側の店は古くさく商品も少ない一方で反対側の店は小さくても外国製品がずらりと並んでいる状態でした。境界を越えての買い物は禁じられていたのですが、我慢できず越えてしまう人がたくさんいました。

地元住民が数千人ばかりだった沙頭角の経済は大きく発展、1990年代初めには庶民が競って行くほど大人気の場所となりました。1997年香港返還後、香港地区へより行きやすくなったため沙頭角への関心は薄れていきましたが、改革開放の歩みを語る上で欠かせない町であるといえるでしょう。