環市旧貌

2018年8月3日

黄亦民 HuangYiMin

1951年広州生まれ。1966年、北京天安門広場で初めてカメラを手にしてから、写真愛好家に。1986年、信息時報社に入社、撮影記者に。以後、報道カメラマンとして一貫して事件現場の第一線で活躍。報道写真賞など受賞歴多数。
1989年撮影

もともと田畑だった環市東路周辺は、改革開放後の89年にはハイエンドなビジネスエリアが形成され、周辺に次々とビルが建てられて道路も完成しました。

都市の発展の様子は道路の変遷から見て取れます。80年代まで広州の道路は狭く曲がっていてほとんど市内に抜けられませんでしたが、車は少なく渋滞もありませんでした。改革開放後に車が増加し道路の建設が必要となりました。

東西に走る主要道路の一つ中山路は8区間もある長い道路ですが、以前は道幅の広い区間は一つもありませんでした。東風路も狭かったのですが、64年に列車を通すため徳Wm立交が建設されました。沿江路も細長く、潮汐の影響でしばしば冠水していました。南北に走る人民路と解放路も、もとは狭い道でした。

78年の改革開放後、バイクや車を持つ家庭が増え交通量が急増したため道路整備が不可欠となりました。83年まで広州大道は北側5㎞程だったのに、85年に広州大橋が建設されて、客村立交から南へ徐々に延びていきました。86年、人民路に高架橋が架けられて南北の渋滞は緩和されました。92年、東風路に一斉に建設された盤福立交、烈士陵園立交、農林立交は広州の大動脈を成しています。そして94年、改革開放路が片側四車線に拡幅され、02年の康王路の全線開通により広州の道路はまた様変わりしました。

東西方向の主要道路である環市路は80年代まで市内から遠く、道路の両側は田畑でしたが、環市東路が商業地として開発されていくなか、新しいビルが次々と建てられました。

両側がまだ田畑だった頃に建てられた最初の高層ビルは白雲賓館で、友誼商店、ホリデーイン、国貿大厦、花園ホテルなどが順々に建てられ、道路も完成し、ハイエンドなビジネスエリアが形成されました。

現在も新たな地域が開発され新しい道路が次々とできるので、ベテラン運転手もナビで確認するほどわかりにくい道になっています。